でもなく、大いに偽りのあるもので、屡々軽薄なものでもある。もとより笑ひが涙以上に深刻高遠といふことはないが、一つは目からでる水、一つは口からもれる風声で、どつちがマヂメ、どつちが不マヂメといふ性質のものぢやない。フィガロのセリフに「なぜ私が年中笑ふかですつて。笑はないと涙がでてきやがるからさ」五分々々のものだ。同様に、面白さ自体、マヂメも不マヂメもあるものぢやない。面白さを悪徳と見る人々の魂や生活は何と貧困なものだらうか。誠実な生き方や省察がないから、休養娯楽の正しさが分らない。
 面白さはすぐれた効能である。同じものを面白くなく書くよりも面白く書く方がよろしい。文学が娯楽となることによつて文学の価値が低下俗化するわけではなく、思想の低俗、魂の低俗の故に文学は低俗となる。もとより面白をかしい小説に低俗な小説もたくさんあるが、御同様、深刻勤勉面白をかしくもない小説にも同じやうに低俗なものがたくさんあつて、このことでは両々別に変るところはない。まだしも面白ければ面白いといふことで喜んでくれる人があるだけ何かのタシになつてはをるが、尤もそのことのためにそれだから面白ければ文学になるといふ性質
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