娯楽奉仕の心構へ
――酔つてクダまく職人が心構へを説くこと――
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)亦《また》
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 いつぞや「近代文学」の人たちに、君たちの雑誌は肩が凝つて仕様がないが詰碁と詰将棋を載せてくれないかナ、と言つて、平野謙に叱られた。これは一場の冗談だけれども、又、冗談とばかりも限らず、「近代文学」は詰碁、詰将棋でもなくては退屈千万だ。
 たとへば、理学、工学、化学、医学、農学、美術、音楽などのそれぞれ最も専門的な純学術雑誌に詰碁や詰将棋が載つたらどうだらう。別に学術雑誌のダラクだなどと言はず、研究室の休養のひとゝきに気の利いたことだと喜んでくれる学者が多いんぢやないかな。研究室に碁盤や将棋盤があつても、探偵小説の数冊が置いてあつても、学者のダラクなどと言ふ者もなからう。本当に仕事をする者には休養が必要で、尊いものだ。
 休養、娯楽を悪徳と見る儒学思想は今日も尚日本の家庭を盲目的に支配してをり、よく働き、よく遊べといふやうな分りきつたことすらも、尚一般的な常識ではないのである。休養、娯楽が家庭化されてゐないから、芸術の鑑賞も亦《ま
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