、何かしらに縋りついてゐなければならぬ。狂気のやうに自分を愛す親爺である故、うるさくて憎くて仕方がないが、縋りつかずにもゐられない。それは愛情の声ではなく、衰へはじめた年齢の又肉体の声だつた。最大の不信、親爺の死滅を祈りつゞけてゐながらも、縋る手を離すまいと動く手を自ら断つといふことが出来ぬ。
 娘に婿をもらつて静かな余世を、と言つてゐるが、大嘘だ。主婦みづからの血潮の始末に身もだへて、あがきのつかぬ状態だつた。いゝ加減なことを言ふな、と、僕の目がいつも冷めたく光るのを、どうすることも出来なかつた。あの娘をどれほど愛してゐるか、それは知らぬ。娘の家出がどのやうな寂寥を与へたか、それも分らぬ。或ひは僕如き人生の風来坊には見当もつかないやうな荒涼たる心事であるかも知れぬ。けれども、如何ほど深い寂寥であるにしても、それが何程のことであらうか。自分一人の始末だけでもするがいゝ。情緒の問題は末の末で、この食堂では、家出した娘の脱けた空虚などは一向に目立たず、四十女の肉体が亡魂となつて部屋いつぱいうろつき廻つてゐるではないか。

 本格的に姿をくらました娘も、十日目ぐらゐに奇妙なことでつかまつた。
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