前の果報を喜べといふ好意のつもりであるかも知れぬ。然し、実際親爺が死んだらどういふ事態になるであらうか。伏見の石屋といふ豚のやうな肥つた男が、一ヶ月に一度づゝ酒を飲みにやつてくる。十五年ぐらゐ、かうして確実に一ヶ月に一度づゝ見廻りにくるのである。その日は朝から深夜まで十五六時間ゆつくり飲んで、親爺がまだ死なゝいことを見届けて帰つて行く。すると又、稲荷山へ見廻りにくる香具師《やし》の親分といふのがあつて、時々子分をひきつれて威勢良く繰込んでくる。主婦は俄に化粧を始め、外のお客は一切奥座敷から締めだされる。親分が酔つ払ふ頃になると子分は帰つてしまひ、親爺も二階の碁席へ引下がる。親爺は押黙り、異常な速度で傍目もふらず碁を打つてゐる。あゝ、又、例の客だな、と常連達は忽ち察しがつくのであつたが、誰も同情する者はない。全然気にかける者もない。この親爺が世にも不似合な女房をもち、その結果斯ういふ事態にならなかつたら、その方がこの世の不思議といふものだ、とみんなが思つてゐるのである。
 然し、親翁が死んだら……多分、主婦自らが最もそれを希つてゐたに相違ないが、然しながら実際親爺が死んだら……主婦とても
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