京都でも一番物価の安い所だ。伏見稲荷は稲荷の本家本元だから、ふだんの日でも相当に参詣者はある。京阪電車の稲荷駅から神社までは、参詣者相手の店が立並び、特色のあるものと言へば伏見人形、それに鷄肉の料理店が大部分を占めてゐる。ところが、この鷄肉が安いのだ。安い筈だ。半ば公然と兎の肉を売つてゐるのだ。この参道の小料理屋では、酒一本が十五銭で、料理もそれに応じてゐる。この辺は、京都のゴミの溜りのやうなものであつて、新京極辺で働いてゐる酒場の女も、気のきかない女に限つて、みんなこゝに住んでゐる。それに、一陽来復を希ふ人生の落武者が稲荷のまはりにしがない生計を営んでオミクヂばかり睨んでゐるし、せまい参道に人の流れの絶え間がなくとも、流れの景気に浮かされてゐる一人の人間もゐないのだ。
 然し、僕の住む弁当屋は、その中でも頭抜けてゐた。弁当は一食十三銭で、労働者でも満腹し、僕は一日二食であつた。酒は一本十二銭。それも正味ほゞ一合で、仕入れは一樽四十円であつたから、儲けといふものがいくらもない。僕は毎晩好きなだけ酒をのみ、満腹し、二十円ぐらゐで生きてゐられるのであつた。
 この弁当屋で僕はまる一年余暮し
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