た。その一年間、東京を着て出たまゝのドテラと、その下着の二枚の浴衣だけで通したと言へば、不思議であらうか。微塵も誇張ではないのである。夏になればドテラをぬぎ、春は浴衣なしで、ドテラをぢかに着てゐる。多少の寒暑は何を着ても同じものだ。さうして、時々は酒をのみに出掛けもしたし、祇園のお茶屋へも行つた。さういふ店で、とりわけ厭がられもしなかつたのだ。つまり、京都には僕のやうな貧書生が沢山をり、三分の二人前ぐらゐには通用する。それは絵描きの卵なのだ。ぼう/\たる頭を風にまかせ、その日のお天気に一生をまかせたやうな顔をして、暮してゐる人々はあの連中を絵師さんだの先生とよび、とても大雅堂なみにはもてないけれども、とにかく人間なみにはしてくれる。警察の刑事まで、さうだつた。だから僕も絵師さんとよばれ、二ヶ月ぐらゐ顔もそらず洗はなくとも平気なやうな、手数の省ける生活を営むことが出来たのである。

       三

 弁当屋は看板に※[#丸十、322−19]食堂と書いてあるが、又、上田食堂とも言つた。上田といふのは主婦の姓で、亭主の姓は浅川であつた。これだけでも分るやうに、亭主は尻に敷かれてゐる。二人
前へ 次へ
全35ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング