つた。その別宅には隠岐の妹が病を養つてゐて、僕の逗留には向かなかつたので、伏見に部屋を探してくれた。計理士の事務所の二階で、八畳と四畳半で七円なのだ。火薬庫の前だから特に安いのかと思つたら、伏見といふ所は何でも安い所であつた。然し、この二階には、さう長くゐなかつた。さうして、語るべきこともない。
 引越した晩、隠岐と僕は食事がてら、弁当仕出屋を物色にでかけた。伏見稲荷のすぐ近所で、仕出屋はいくらもある。然し、どれも薄汚くて、これと定めるには迷ふのだ。京阪電車の稲荷駅を出た所に、弁当仕出の看板がでゝゐる。手の指す方へ露路を這入ると、まづ石段を降りるやうになり、溝が年中溢れ、陽の目を見ないやうな暗い家がたてこんでゐる。露路は袋小路で、突き当つて曲ると、弁当仕出屋と曖昧旅館が並び、それが、どんづまりになつてゐる。こんな汚い暗い露路へ客がくることがあるのだらうか。家はいくらか傾いた感じで、壁はくづれ、羽目板ははげて、家の中はまつくらだ。客ばかりではない。人が一人迷ひこむことすら有り得ないやうな所であつた。
「これはひどすぎる」
 隠岐は笑つた。僕も一応は笑つたが、然し、これでも良かつたのだ。む
前へ 次へ
全35ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング