て口を探したらうか。知合ひの隠居の所へ押かけて、碁でも打つて来たのかも知れぬ。
 日支事変が始つた。京都の師団も出征する。師団長も負傷した。親爺の生れが聖護院八ツ橋であることは前にも述べたが、親爺は家督を譲つた代りに自分の倅《せがれ》に(この倅は主婦の子供ではない)八ツ橋製造の権利をもらつて、聖護院とはマークの違ふ八ツ橋を作らせてゐる。この八ツ橋を軍需品として師団へ納めることになつたのである。倅は大変な鼻息だ。自分の生母を棄て、女と走つてしがない暮しに老いこんでゐる親爺を扱ふに下僕のやうだ。親爺は主婦への面当てから、それを倅の出世のやうに喜んで、下僕のやうに扱はれながら顧問のやうに相好くづしてゐるのである。ところで、ついぞ来たこともない親爺の家へやつて来てどういふ用事があるかと思へば、師団へ納める八ツ橋の箱をつめてくれ、と言ふのである。ボール紙の小箱へつめて、十銭だか、十二銭だかで納めるのだが、この箱づめが一箱一厘、即ち十箱一銭、で百つめて、やうやく十銭といふ賃銀だ。冗談も休み/\言ふがいゝ、今時八ツの女の子でも、こんな仕事はしないであらう。一箱つめるにも角があつたり何かして相当骨が折
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