なぜなら、主婦は、亭主の死を如何に激しく希ひつゞけてゐたゞらうか。彼女の祈願は、たゞ、それのみではなかつたか。
 稲荷の山へ見廻りに来て、その足でこゝへ立寄る香具師《やし》の親分があつた。すると主婦は化粧を始め、親分は奥の茶の間へドッカと坐つて、酒をのみだすのであつた。親分が酔ふ頃になると、子分はみんな帰つてしまふ。すると親爺も、主婦の目配せで追ひ払はれて、二階の碁席へ、例の通り、うゝ、うゝ、うゝ、と唸りながら這込んでくる。額に青筋を立て、押黙つて、異常な速度で、碁を打ちはじめる。あゝ、又、変な客が来てゐるのだな。人々は忽ち悟るのであつたが、何人が曾《かつ》て親爺に同情を寄せたであらうか。一片の感傷を知り、一本の眉をしかめる人すらもなかつたのだ。否、むしろ、その宿命が当然だ、と、人々は思ひ込んでゐたのであらう。
 これは碁客ではないけれども、伏見で石屋を営んでゐる五十三四の小肥りの男は、一月に必ず一度飲みに来て十五六時間飲み通すのがきまりであつたが、それは、まるで、親爺がまだ死なないことを確めに来るやうだつた。

       四

 四柱推命の占師が関さんに頼まれて卦を立てた。僕の所
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