膝を叩いたり、煙管を握つた手を振り廻して、誰にも劣らず喋つてゐる。
 たらふく飲み、たらふく睡り、二十円ぐらゐで生きてゐられるのであつた。考へるといふことさへなければ、なんといふ虚しい平和であらうか。しかも、僕は、考へることを何より怖れ、考へる代りに、酒をのんだ。いはゞ、二十円の生活に魂を売り、余分の金を握る度に、百鬼の中から一鬼を選んで率き従へて、女を買ひに行くのであつた。
 この連中のましな所は、とにかく、主婦を口説かなかつたといふだけだ。え、おつさん。早く死んだらどうかいな。あとは引受けるよつてに。かういふ露骨な冗談を、僕は毎日一度はきいた。誰かしら、それを言ひだすのであつた。親爺は牙をむきだして、ヒヽヽヽと笑ふ。必ずしも、腹を立てゝはゐないのだ。いや、諦めてしまつたのだ。然し、諦めきれるであらうか! とはいへ、今は、この冗談がこの食堂の時候見舞のやうなものだ。棺桶に片足つゝこんでおいてからに、ほんまにしぶとい奴つちやないか。却々《なかなか》、いきをらんで。この冗談がユーモアとして通用し、笑ひ痴れてゐるのである。之は、たしかに冗談だつた。然し、又、たしかに、冗談ではなかつたのだ。
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