浪花節の師匠がゐて、この近辺では一番強く、ヘボ倶楽部を吹聴した発頭人であつたが、まもなく再び碁会所へ現れるやうになり、僕も互先で打つやうになつた。
東京を捨てたとき胸に燃してゐた僕の光は、もう、なかつた。いや、この袋小路の弁当屋へ始めて住むことになつた時でも、まだ、僕の胸には光るものが燃えてゐた筈だつたのだ。隣りの二階は女給の宿で赤い着物がブラ下り、その下は窓の毀れた物置きで、その一隅に糸くり車のブン/\廻る工場があつた。裏手は古物商の裏庭で、ガラクタが積み重り、二六時中拡声器のラヂオが鳴りつゞけ、夫婦喧嘩の声が絶えない。それでも北側の窓からは、青々と比叡の山々が見えるのだ。だが、僕には、もう、一筋の光も射してこない暗い一室があるだけだつた。机の上の原稿用紙に埃がたまり、空虚な身体を運んできて、冷めたい寝床へもぐりこむ。後悔すらもなく、たゞ、酒をのむと、誰かれの差別もなく、怒りたくなるばかりであつた。
毎晩十二時に碁をやめる。常連の中の呑み助は、これから階下で車座を組んで十二銭の酒をのむ。山口といふ巡査上りの別荘番は、アル中で、頭から絶え間もなく血がふきだし、それを紙で拭きとつては
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