、知らない人は碁の先生だと思つてしまふ。知らないお客は大概僕より遥に強い連中だから、僕も慌てた。そのうちに、あの碁会所はヘボ倶楽部だ。大変な先生がゐるといふやうな噂がたち、ヘボ倶楽部とは巧いことを言ひやがる、と一同感心、カラ/\と大笑したが、気がついてみると、とにかく、自分のことである。これだけ常連が揃つてゐるのだから誰か一人ぐらゐ世間並なのがゐさうなものだが、と顔見合せ、さういふことになつてみると、常連の中では、とにかく僕が一番強いし一番若い。先生、しつかり頼うまつせ、といふやうなわけで、僕も大志をかため島といふ二段の先生について修業を重ねることゝなつた。寝ては夢、さめては幻、毎日々々、たゞ、碁であつた。部屋の中には忽ち碁の書物が積み重り、新聞の切抜が散乱し、道を歩く時には碁のカードを読んでゐる。碁会所へ来るので顔見知りの特高の刑事に、ヤア、大変な勉強ですな、と四条通りで肩を叩かれる。散歩といへば、古本屋で碁の本を探すだけで、京都中の碁の古本は、あらかた僕が買占めたやうなものだ。その代り、二ヶ月ぐらゐたつと、とにかく、田舎初段に三目ぐらゐで打てるやうになつた。近所にチヌの浦孤舟といふ
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