たままである。しかも余は依然として歌舞音曲にふけっているから、我が将兵の中には再び安からぬ心をいだく者が起った。余は彼らに諭して、
「我に倍する兵力をもつ信玄が茶臼山の本営を撤して海津城に勢力の合一をはかった心事を考えよ。我が策をはかりかね、怖るる心の故に、倍する兵力を持ちながら、自軍の合一を急ぐのだ。もとより合一した以上は今度は何か仕掛けるであろうが、怯える心の故に、敵の仕掛は慌てているか、用心しすぎているか、どっちにしても迫力を欠くものにきまっている。敵の不安をさらに掻き立てるために、我が軍はいつまでも二分したまま平然と敵の仕掛けを待つがよい。我が備えが不合理であればあるほど、敵の怯えは深まるのだ」かくて余が将兵の動揺はこれを防ぐことができた。
 さらに日を過ぎること十日。ついに信玄の陣営に出動の動きが起った。日没に至りおびただしい炊煙のあがるのを認めたのである。茶臼山を撤して海津城に合一をはかった時に、すでに信玄は余が術策に負けたものというべきであった。なぜならば、海津城の動勢も、その四囲の山々やまた川中島の動きも、すべて余の本営から一見えであったからだ。彼らは日中は動くことがで
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