か》に思案が見当らないから、事情をうちあけ、お衣ちやんも紹介に及んで、しかしこゝがカンジンなところだから、天妙教の手切りの件が眼目ではあるけれども、お衣ちやんを独専したい苦心の胸のうち説明に及んで釘をさす。
「これは最上先生、そんなふうに私を見損つちやいけないな。そもそも紳士道といふものは、こゝに唯一無二の規約がある。それはあなた男女たがひに誰を口説いてもよろしいけれども、友だちの思ひものだけ口説いちやいけません。あなたが麗人同伴で私の前に現はれる。そのとき私は最上先生の弟子であり忠僕であるごとく己れを低くして最上先生を立てゝあげる。かはつて私が彼女同伴最上先生にであつた時には、最上先生が私よりも薄馬鹿みてえに振舞つて私を立てゝくれなきやいけません。この一つが紳士道唯一絶対の規約なんだな。我々は紳士でなきやいけません。だからもうこと御婦人に関しちや私を絶対に信用してくれなきや、しかし、最上先生ほどの非情冷静なる御方がアノ子のためにはオチオチ眠られぬ、男といふ男が怖い、これはいゝね。まつたくホロリとするぢやないか。よろしい、犬馬の労をつくして差上げませう」
と、まづビールを五六本きこしめしてから瞑想にふける。
何よりも店の繁昌、これをブチこはしたんぢや話にならない。お金といふ後楯《うしろだて》があつて紳士道も成立つのだから、天妙教と手を切る、そのために店がにはかに衰微しちやいけないから、それとなくヨッちやんの意中をたしかめてみると、ヨッちやんは天妙教など問題にしてゐない。住む家もなく、生活の心当りもないから、オフクロにひきずられてゐるだけのことだ。オフクロがまた我慾一方、人のために我身の損のできないタチだが、天妙教にすがつてゐると野たれ死だけまぬかれる、この目当は老いの身の頼みの綱だから、オイボレ廃人狐つきの集団生活、不愉快きはまるけれども教会を裏切られない。
「お米、醤油、ミソ、塩、油、バタ、砂糖、玉川関は色々とくすねて教会へ運ぶさうぢやないか。さもなきや子供づれのカミサン連が押寄せて食ひちらかして行くてえ話だけど、暴力団でさへ一軒のウチを寄つてたかつて食ひ物にするにはいくらか慎みや筋道はありさうなものぢやねえか。天妙教ぢやア、泥棒ユスリがなんでもねえのかなア、心持が知りたいもんだな」
「ふんとに倉田先生、私や辛いのよ。全くもう人間の屑のアブレ者がそろつてるんだから、礼儀も慎みもありやしないわよ。この子が恥をさらしてギセイで稼いでゐるものを、踏みつけてるぢやありませんか。この子はあなた、かほどの思ひをして、チップを貰ふためしもないのだからさ」
「さうさう。それだよ、オバサン。あなたはヨッちやんを因果物に仕立てる気分だから、いけない。お代は見てのお帰り、親の因果が子に報いてえアレだね、ヨッちやんを見世物にして露骨に稼がうてえ気分を見せちやア、お客は気を悪くします。いくらか置いてきなさいな、この子が可哀さうだわよ、そんなことをいつたんぢやア、これはもう全く因果物で救ひがない。お酒は粋でなきやいけないから、刺戟の強いサービスほど何食はぬ気分が大切なんだな。お店の成績が上りや最上先生からそれに応じて心附けがあるのだから、ヨッちやんのギセイを軽いオペレットに仕立てる心得がなきやいけません。しかしオバサンとしちや見るに忍びざる悲しさ、また口惜しさ、勢ひサイソクがましくもなるだらうからな、よく分る、ムリもないです。だからオバサンはお店へでちやいけない。玉川関のかはりにお勝手をやりなさい。いゝかね、オバサン、ヨッちやんのあの芸は、あれでチップをとらないところに値打がある、さすればヨッちやんも救はれる、養命保身、これでなきやいけませんや」
お店の第一線で働いてみると、自分の方は案外ミイリがないから、玉川関一味のやり方にはフンマンやるかたなく、利益を独専したい気持がうごいてゐる。これを見抜いたから、仕事は楽だと見極めをつけた。
グロテスクがグロテスクだけで終始したんぢや魅力にならない。切なさ、明るさ、軽さ、どことなく爽やかなものを残さなくてはならぬもので、第一次大戦後の欧洲の前衛芸術は悲しいグロテスク、明るい軽妙なグロテスクがその主要な相貌であつた。これが近代知性の生活感覚の中軸的相貌でもある。ヨッちやんの芸は前衛芸術の宿命に通じるものがあるから演出次第でピカソやコクトオの芸術的放射能を現実的に発散できる珍品なんだと倉田は高く評価したが、ヨッちやん一つぢやグロテスクも悲痛すぎて暗すぎるから、もう一つピエロ的グロテスクのワキ役が必要だ。
倉田が目をつけたのは行きつけの飲み屋に食客をしてゐるソメちやんといふ色若衆で、昔は歌舞伎の女形であつたが戦争中は徴用されて工場へつとめ終戦後舞台へもどつたが生活が立たないので、近頃では飲み屋の手伝ひをやり
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