ない。その意味では悲劇だけれども、神にさゝげるギセイ、己れをむなしくするギセイ、要するに、あなた、人々の養命保身のために自らの悲劇をさゝげるのです。だから御当人は明朗、自適の境地がなきやいけない。当店のマスターたる最上先生も御母堂もその心得で指導しなきや、第一、どことなく明るさとか、無邪気とか、救ひがなきや、因果物みたいでお客だつて喜びやしねえな。だから私が美人だといふ。喜びますよ。当人自身に救ひがなきや、人を救ふ御利益のでてくる道理はねえからな。だから、あなた、私が彼女は美人だといふ、御当人が信じないといけないから、さういふお顔が好きなんだ、と云ふ、これは口説です。これが大切なんだな。するてえと私のギセイにおいて彼女が次第に因果物の心境をはなれてくるです。これを別して側近に侍《はべ》るみなさんがやらなきやいけない。このまゝぢやア、グロテスクすぎるよ。それにしても意外な芸があるものだな。日本もそろそろ新人が現れつゝあるんだなア」
「アレまア、旦那はこの子をほんとに美人と思はないの」
「冗談いつちやいけないよ。美人てえものは美しき人とかく、この人は人間の顔からちよつと距離があるからね。ふなに似てるのかな。とがつたところはエビみてえなところもあるな。当人だつて心得てるんだから、むやみやたらに美人と云つたつて疑るよ。だから、私はかういふ顔が好きなんだ。とても可愛いゝ、とかういふのです」
「罪だわよ、旦那、この子は本気にするからね」
「だからさ、この子を本気にさせてやらなきや、因果物の気質がぬけやしないぢやないか」
「この子はノボセ性なんだよ。すぐもうその気になるからね。私や困るわよ。旦那、すみませんけど、ギセイのついでに、この子をオメカケにしてやつて下さいな。高いことは申しませんよ」
「いけません、いけません。芸術は私有独専しちやいけない。この子はすでに失恋に日頃の覚悟もあることだから、天分を育てるために私たちは力を合せる、この子と私がちよッと懇になつたりするのを、オバサンは我が子の天分のためと思つて、ひそかに喜んでくれなきやいけない」
 うまいことをいつてゐる。
 最上清人はもうその場にはゐなかつた。彼はもはや全然ヒマといふものが心にないから、御開帳のオツキアヒなど、もどかしくて堪らない。お衣ちやんの鎮座をたしかめて、コック場でセカセカ、用もないのに、たゞむやみに心が多忙である。

          ★

 人間の独専慾は悲しいものだ。最上清人はお衣ちやんを誰の目にもふれさせたくないのであるが、人間を小鳥のやうに籠に飼ふわけには行かないもので、朝の御飯をたべてしばらくすると教会へ遊びに行つてくるといふ。なぜ? 用があるの? 用件を具体的に説明するやうなことはなくて、たゞ用がある? 行つてくるわ、さうきめこんでゐる。籠に飼ひならされる精神はミヂンもなく、外出を拒否されるなど想像してゐないのだから、清人の承諾をもとめてゐるのと意味が違ふ。行つてくるわ、といつて立ち上つて黙つてをればそのまゝサヨナラも云はずに行つてしまふから、何時に帰るの? 私時計がないのよ、教会にあるだらう、でも私時計見ないもの、全然たよりない。仕方がないから玉川関にいひふくめて迎へに行つて貰ふ。十一時頃迎へにやると一緒に五時頃帰つてくる。そんなに長く遊んできちやいけない、ひるまへに帰れ、玉川関に断乎申渡して迎へにやると、ひるまへに帰つてきたが、子供を二三人づゝつれたオカミサン連を三人もつれてもどつて昼食をたべさせ、夕方までギャア/\バタ/\泣いたり糞便をたれたり大変な騒ぎをやらかす。
 サヨナラもタダイマもオハヨウも、その他親しみのこもつた言葉何一つしやべらず、宿六をなんと思つてゐるのだか、同衾《どうきん》はする、しかしそこから宿六といふ特別な人格などはミヂンも設定の意志がなくて、かうなると宿六も切ない。どんな男でも、男には身をまかすものときめてゐるものにしか思はれないから、どこで何をしてゐるか、男といふ男がみんな恐怖の種、教会の神主、失業オヤヂ、病気のヂヂイもその子の中学生も、みんなおそろしくてたまらない。
「君の結婚した人なんて人だつたの」
「知らないわ」
「何人ゐるの」
「一人にきまつてるわ」
「教会のオバサンは八人といつたよ」
「一人よ。私、失恋したのよ」
 誰に失恋したのだか、八ヶ月の人物だか、一週間の口だか、一晩の口だか、皆目分らない。僕は君の何かね、ときいても、知らないわ、なぜこゝへきたの、神様のオボシメシだといふ。
 着物を買つてくれ、靴を買つてくれ、煙草を買ひだめておくとそれを教会へ持つて行つて誰かにくれてくる、教会と手を切る工夫をしなければ気違ひになりさうだから、絶対男に会はせぬ手筈であつたが、是非もない。倉田博文の手腕にすがつて策を施す外《ほ
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