の借金は瀬戸が払ふのは当りまへだ。そのほかにお客が来なくなつた埋合せはお前がつけなきやならないのだ。二号になりやいゝんだ。五六人ぐらゐの男にうまく取り入つて共同の二号になれ。待ち合の娘のくせに、それぐらゐの腕がなきや、出て行くか、死んぢまふか」
 ひどいことを言ひすてたあとは、いつもプイと出て行つてしまふ。
 着物がなければ客席へも出られず、専らお勝手でお料理作り専門で、くゞり戸から腕だけ差出す、マダムはどうしたといふお客にも顔がだされず、これでは二号になる術《すべ》もない。
 けれども宿六は富子の顔を見るたびに、二号になつたか、まだならないのか、バカ、と言ふ。外のことは一切喋らない。美人女給もくることになつた。富子は衣裳もちで戦争中はそれだけ疎開させておいたから質に入れて宿六のふところにころがりこんだ金だけでも大きなもの、この金によつて女給を手なづけて口説かうといふ肚がきまつて、もう宿六の思想は微動もしない。これが分るから富子は口惜しい。彼女が出て行けば宿六の勝利は目に見えてゐるが、出て行かなくともオサンドンではもう我慢がならない。どうしても天下有数の二号になつて見下してやりたい。
 まつたく富子はもう羞も外聞もない気持になつて、アッパッパで飛びだして、会社の社長や、問屋のオヤヂや、印刷所のハゲアタマのところへ途中まで歩きかけてみたが、さすがにすくんで、動くことができなくなつて、倉田のアパートへ行つた。ところが倉田はもう三日も家へ帰らぬといふ話だが、留守居の奥方が七ツと五ツの二人の威勢の良い子供をかゝへて愛橋があつて親切だ。マアお上んなさいまし、そのうちに帰るでせうと言ふので、上つて話しこんでゐるうちに、夜になり、夜中に倉田が帰つてきて、もう帰れないからとその晩は倉田のアパートですごした。
 ところが、倉田は急にタヌキ屋に興がなくなり、白けきつて、殆ど遊びに行く気持もなくなつてゐた。
 一つはオコウちやんなる秘蔵ッ子を差向けたのが手落ちの元で、才腕はあるが、まだ二十の娘で、女といへば芸者しか知らない。花柳界の礼儀で、待合の娘が芸者を遇する仕来《しきた》り、芸者が待合の娘を遇する仕来り、ちやんと出来上つた枠の中で我がまゝ一杯ハネ返つて可愛がられたりオダテられたり、かつ又経営上のラツ腕もふるつてきたが、タヌキ屋ではダメだ。タヌキ屋の美人女給は事務員やショップガールあがりの二十三四、四五といふ半分泥くさい連中で、いかにも浮気がしたくてこの道へ志したといふ御歴々ぞろひ、最上先生のテストに及第したのも亦そこを見込まれてのことだ。
 オコウちやんと肌合が違ふから、小娘に派手にやられてきり廻されて何かと言はれると腹を立て、余波はめぐつて倉田軍師も煙たがられてなんとなく反目を受ける。
 倉田は軍師たるの地位により役得は当然あるべきもの、たゞで働くバカはない、勤労に対しては報酬がなければならぬ、と考へてゐる。ところが五名の女給は一丸となり、店側の忠実なる鬼の相を露呈して、自ら特権階級を僭称《せんしょう》する倉田を軽蔑してはゞからぬ如くである。
 オヤヂが金々々と凝りかたまつてゐるから女房のみならず女給まで忽ちカブれてしまふ、ショップガールだの事務員はソロバン高く仕込まれてゐるから金のことになると善悪を超越して守銭奴たることを恥としない。然し骨の髄から金に徹した最上清人は、金に徹すれば徹するほど勤労への報酬はハッキリする筈で、親の心子知らず、仕方がない、最上に打合けて女給の魂を入れかへて貰はなければ、と、碁会所の彼をよびだして一杯のんで、勤労と報酬に就て一席弁ずる。然し全然手ごたへがない。
「本当に金銭を解する者にはタダ働きといふことはないよ。そもそもお金をもうける精神とは勤労に対して所得を要求する精神で、これこれの事にはいくらいくらの報酬をいたゞきたい、とハッキリきりだす精神だ。靴をみがゝせても三円。金銭の初心者は人にタダで働かせて自分だけ儲けたがるものだが、こいつは金銭の封建主義といふ奴で、奴隷相手の殿様ぢやアあるまいし、現代には孤立して儲けるなんて絶対主義は成りたゝない。この道理を解さなければ、味方といふものが一人もなくなる」
「うん、僕は味方が一人もゐない方がいゝ。僕は金銭は孤立的なものだと信じてゐるんだ。僕は君に女房のこと、店の情勢を偵察してくれと頼んで、それに対しては報酬を払つた筈だが、それから先のことまでは頼んだ覚えがない。頼まないことには報酬を払ふ必要はない。金銭には義理人情はないから、僕の方から頼まないのに靴をみがいたつて、お金をやる必要はないね」
「そんな風に人生を理づめに解したんぢや、孤影悄然、首でも吊るのが落ちぢやないか。万人智恵をしぼつてお金儲けに汲々たるのが人生で、たのまれない智恵も売つて歩く、これがカラ鉄砲なら仕方
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