がないが、当つた時には報酬を払つてやらねばならん。かういふ智恵の行商人、智恵の闇商人といふものを巧みに利用するのが、金銭を解する者といふのだ。信長だの秀吉てえ人々はかういふ智恵の闇商人を善用した大家なんだな。ここの理窟を解さなきやア」
「僕は解さないね。僕には信長や秀吉ほどの夢はないからさ。夢は負担だね。僕の限度と必要に応じて取引するだけで結構ぢやないか」
「だから、それがだよ。限度だの必要に応じてと云つたつて、そんな重宝なものがどこにありますか。失礼ながら、最上先生は必要に応じて取引して所期の目的を達してゐますかな。猿面冠者《さるめんかじゃ》が淀君を物にするには太閤にならなければならなかつたが、むろん太閤だつて蒲生氏郷《がもううじさと》の未亡人や千利休の娘にふられる、だから本当の限度はきりがない。けれどもともかく狙つた女の何割かは物になるてえ限度はあつて、この限度はつまり国持大名だな。これを今日で言ふと、恒産あり、といふことだ。失礼ながらタヌキ屋の御亭主は未だ一城一国のあるじとは申されませんな。足軽ぢやアねえかも知れねえ。ともかくタヌキ屋てえノレンの亭主なんだから、三四十石とりのサムライかも知れないけど、どうもまだパッとしない貧乏ザムライで、女の苦労よりも暮し向きの苦労が差し迫つてるやうなところだらう。だから、あなた、ともかく、大名にならなきや、ダメですよ。国持大名にならなきやア。あなたが今どうあがいてみたつて、必要に応じて取引して、マル公で通用しやしませんよ。マル公で通用させるにやア、国持大名の格てえものがなきやア、私があなたに入れ智恵するのはその理窟で、あなたは目下三四十石のサムライ、私は足軽。私はあなたを国持大名にして、私はせめて家老ぐらゐに有りつきたい、ねえ、さうぢやありませんか、持ちつ持たれつといふものです」
「君は正統派なんだな。古典派なんだよ。僕はちかごろはやりのデフォルメといふ奴なんだらう。それに現実の規格が生れつき小さいのさ。僕は総理大臣が美妓を物にしようとフラれようと生れつき関心の持てない方で、貧乏な大学生が下宿の女中とうまくやつたり八百屋のオヤジが三銭五厘の大根を三銭にまけてやるぐらゐでどこかの女中やオカミさんとねんごろになつたりするのばかりが羨しいタチなんだよ。だから目下のタヌキ屋の貧乏世帯でやりくり浮気するのが性に合つてるんだ。君とは肌合が違ふんだ」
「いけねえなア、さう、ひねくれちやア。最上先生の思想が如何に地べたに密着して地平すれすれに這ひ廻るにしても、人間が国持大名を望む夢を失ふといふことはない」
 と倉田が慨嘆してみても、彼はアクビひとつせず、俺は貧乏な大学生が下宿の娘とうまくやるのが羨しいのだ、とうそぶくのだから手がつけられない。
 だから彼はもう軍師の情熱を失つて、オコウちやんにも、もう止しなさい、あなたがいくら働きを見せたつてそれに報いてくれる人ぢやアないんだから、ムダですよ、と言つたが、オコウちやんが又奇抜な娘で、いゝえ、私はもうそんなのが目的ぢやアないのよ、五人の女給さんに一泡ふかせてそれからやめるわ、それまで、ゐるから、と言ふ。知らねえや、勝手にしろ、と倉田はもうタヌキ屋の方へはめつたに現れず、東奔西走、持ちつ持たれつ家老の口といふ奴をあちらこちらに口をかけて極めて多忙にとび廻り飲み廻り口説き廻つてゐる。
 倉田は富子の涙話に長大息。
「そいつは、いけないねえ。それでも思ひとゞまつて、しあはせですよ。アッパッパで、小さくなつて、私を二号にしてちやうだいよ、なんて、それぢやア、あなた、闇のチンピラよりも安く値切り倒されてしまふですよ。ともかく着物をなんとかしませう」
 とオコウちやんにたのんで、着物をかしてもらつた。ところが富子が着物を失つてお勝手専門になると、お勝手は二人ゐらない、と女中に暇をやつてしまつた。そこで富子が店へでると、今度は女中の手が足りない。
 するとその晩偶然倉田について飲み廻つて一緒にとめてもらつた青年がある。彼も元来哲学生で、卒業まぎはに召集されて大陸でぶらぶら兵隊生活をして戻つてきたが、闇屋のかたはら小さな雑誌の編輯など手伝つてゐるうちに倉田と相知り、傾倒して彼を先生とよび、始めて偉大なる思想家に会つたと大いに感激してゐる。
 富子の語る一部始終を耳にして、よろしい、そんなら、僕がお勝手をやりませう、と申しでた。
「おい、君も困つたオッチョコチョイだな。お料理なんかできるのか」
「兵隊のとき、大陸でやりましたよ。豚をさいたり、蛇をさいたり、イナゴのテリヤキ、なんでもできますよ」
「そんな荒つぽい料理はいけない」
「いえ、学問の精神は応用の心がまへなんで、わけはないです」
「心がまへと経験は違ふよ。第一君、高級料理から下級料理への応用てえのは分るけれども、蛇
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