ふ気持もした。

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 最上清人は近ごろ人間の顔の見方が違つてきた。
 以前は小数の「不可能型」といふものを愛してをり、つまりこれは哲人の顔なのである。その他は資本家も政治家も貴族も、ましてボンクラ共は、みんな一まとめにその他大勢の有象無象といふわけで、オヒゲのピンとはねてゐるのが陸軍大将だらう、などゝ俗でない見解にアッサリ万事を托して落付きはらつてゐたのである。
 近ごろは、さうはいかない。
 資本家顔、政治家顔、貴族顔、彼はさういふ通俗な型には今更驚きもしなかつたが、とるにも足らぬその他大勢の有象無象に「現実顔」とでも言ふべきものを発見して、一方ならず讃嘆した。哲学者はさすがにエモーションの出方が違つて、彼は即ち、これを讃美したのである。
 その顔は三万円や五万円をポイと払つて行く顔だつた。そのくせに商人のやうに如才がなくてインギンで、つまり彼等は抜目のない商人なのである。彼等は現物を見た上でなければ取引しないといふチャッカリ屋で、カラ手形といふものが全然きかない現実家であつたが、そのくせ彼等は現物を見ずに取引してゐるのである。
 これはいつたいどういふカラクリによるのだらう。つまり彼等自身が骨の髄からのチャッカリ屋で、現物を見ずに取引する不安の心理を知りぬいてゐるから、逆に現物を見せずに取引する手段、コツ、無限の工夫を案出することもできるわけだが、要するにサギ師なのである。然し彼等も現物を見ずに取引するから面妖で、平気でサギにかゝるのである。といふのは、自分もサギにかゝる代りに、そのネタによつて更に多額のサギをはたらく見込みをつかんだからで、サギ師とサギ師の取引といふものは禅問答以上に専門的で不可解きはまるものであつた。
 世耕情報といふものがある。彼等はそれと直接何の関係もないけれども、それをキッカケに無数のカラクリを案出して儲ける手腕をもつてをり、サギにかゝつた本人をのぞけば、彼らは誰に対してもインギンで、親切で、善良だつた。
 彼らはみんな若かつた。二十七八、三十前後、どこの馬の骨だか分らない通俗的な顔をしてをり、事業家の顔でもなければ政治家の顔でもない。サギ師の顔でもないのである。そして千差万別だつた。
 木田市郎はいかにも身だしなみのよいセールスマンといふ様子で、女性的なざらに見かけるタイプであつたが、シサイに眺めると讃美すべき新時代の個性がある。これは私の説ではない。最上清人の発見なのである。
 タヌキ屋のお客にエロ出版の社長がゐて、木田市郎から二百連ほどの紙をまはしてもらつたことがあつた。その話を耳にした、これもお客の一人の出版屋が木田市郎が来た折に紙をたのんでくれと言ふので、承知しました、最上清人も近ごろは言葉がインギンなものである。大商人ともなれば、おのづから、さうなる。木田市郎に話を伝へると、
「えゝ、今はありませんけど、近いうちはいりますから、まはして上げませう」
「失礼ですが、イントク品を払下げていらつしやるのですか」
「いゝえ、テキハツ屋ぢやありませんよ。私はたゞのセールスマンですから、つまり私は製紙会社へ品物を納めるお代に紙で支払ひを受けるのです。先方で現金よりも紙で支払ひたがるから、私が自然ガラにもなく紙のヤミ屋もやるやうになるだけの話なんです。私は紙は門外漢ですから、その時の取引のお値段で譲つてあげますから、あなたがそれで御商売なすつたら」
「それも面白いでせう」
 最上清人はエロ出版の社長などゝいふ当り前の実業家は眼中に入れてゐない。政治屋も大会社の社長も陳腐で馬鹿らしく見えるのである。筋のないところで魔法的なビヂネスを愉快にやりとげ、たのしく遊んでゐる新時代の新人だけがたのもしく見える。政治屋だの社長などゝいふ型通りの商売人は家庭でヤリクリ算段の女房みたいなもので、闇ブローカーといふものは定まる家もなく定まる商売の筋もないパンパンガールのやうなもので、人生到るところ青山、青空、愉快な人間に見えるのである。
 最上清人と哲学との関係はこゝに到つて全てが明白となつたが、まつたくこれはたゞバカバカしいものであつた。彼はたしかに哲学者であつた。彼が哲学者であるとは、人間を裏切るといふことであつた。
 彼は昔は貧乏であつた。だから哲学者であつた。富も権力も持たなかつた。だから哲理といふ代用品で間に合せてゐたわけで、彼の哲学は彼のゐる場所とか位置のものであり、彼といふ「人間」のものではなかつたのである。
 だから場所や位置が変ると、哲学も変る。人間によるものぢやない。
 貧乏してクビをビクビク安月給で働いてゐたころは、人間は孤独なものだと考へ、死にや万事すむんぢやないか、さう考へてゐたのはツイ先日までのこと、だから内心ビクビクしても案外傲然空うそぶいて課長を怒らして常に後悔に
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