、さういふ世界ぢやないですな。たとへば、あなたのこの手相でも、手相自身が語つてゐる、私はそれを人間的に読む、ですから、いけない。然しですな、私が見ても、この手相はよろしくないです。ツギ木に花がさいてる。季節ぢやなしに、狂ひ咲きです。あなたは、とんでもないことをしてますね。それは小さな無理です。然し、結局とんでもないことだ。さうなるのです。あなたは何か、たとへば、こんな、たとへばですよ、こんな風な無理をしたことはありませんか。たとへば十円の料金の何かゞある。あなたはそれに二十円払つて、まアとつときな、と言ふ。とんでもない無理だ。それに、あなた、こゝに一つ生長の反対、消えつゝある線がある。智能線の分脈したもので、つまり知性に当る線です。あなたは没落してゐるのです。あなたは学問を信用しちやいけませんよ。学問なんか、手の線に現れやしません。手の線に現れるのは、五円もうけるところを十円もうける人、十五円もうける人、さういふ智能が現れる。あなたの智能は、だんだん消えてゐる。いゝですか。あなたは今、どんどんお金がもうかつてゐるかも知れません。然しですよ、お金をもうける智能は消え衰へてゐる、こんな手相はルンペンなんかにある手相で、ルンペンだの失業者だの生活能力のない人間は、みんなこれと同じやうな智能線でして、あなたの手相が示してゐるものはルンペンにすぎないのです。その上、無理をして、損をする、ルンペンであり、更に又、没落の相がある、ルンペンの相と没落の相と両方あるといふのは、いかにもヒネクレた手相だなア。これは奇怪なまでに悪の悪、これほど下等な手相は殆どない。私は始めてゞす。全然無智無能、人間の屑、屑の屑、ルンペン以下、いつたい、そんなのが現実的に在りうるのかな。これは奇怪そのものだ。ちやうど番がきましたから、見ていたゞきませう。さア、どうぞ」
 奥の間に羽目板にもたれて、ウツウツと居眠るやうに坐つてゐるのが、聴音機のオバサンであつた。明るい花模様のヒフをきてゐる。
「あなた、たゞ、坐つてらつしやい。何も仰有《おっしゃ》る必要はない。用件も、万事わかつてゐらつしやるのです。すでにもう、あなたと同化してゐらつしやる、お告げがあるまで、お待ちになつて、ゐらつしやい」
 と、仙境の人は、神の坐にはたまらぬ如くにソソクサと引き下る。
 聴音機のオバサンは一|米《メートル》一五しかない。ビッコだけれど、坐つてゐれば分らないやうなものだが、坐つてゐてもビッコのやうな坐り方で、ヤブニラミだけれど、これも目を閉ぢてゐるから分らないやうなものだが、目を閉ぢてゐても両の目の大きさが違ひ、一つは一の字、一つはへの字の形をしてゐる。獅子鼻の下に、出ッ歯の口をあけて、その歯の汚らしいこと。神様になつても、髪の毛をモヂャ/\たらしてゐる。深刻めいたところが全然なく、無智無能、たゞポカンと目を閉ぢてゐるだけで、二分ぐらゐで、目をとぢたまゝ、
「いやになつちやうね」
 と、すこし、首をふつた。
「いやになつちやうね」
 又、しばらくして、
「いやになつちやうよ」
「何が?」
「バカは死なゝきや治らないよ。お前はバカだらう」
「さうかも知れないね」
「お前はもう、いゝ。お下り。ムダだよ」
「何がムダなんだい」
「バカは仕方がないよ」
「バカか。バカがお前さんよりもお金をもうけてゐるか」
「女に飢えてるよ。アハヽ。いけすかないバカだ。助平バカ」
「お前も男に飢えてるだらう」

 最上清人は立上つて、ノッソリ伺ひの間へ戻つてくる。別のお客と対座してゐた仙境の人が、最上を目でまねいて、
「あなた、ちよッと」
「もう、いゝよ、分つたよ」
「ちよッと、手相を」
 今度は天眼鏡で、つぶさに見究はめて、
「下の下だ。仕方がないんだなア。あなた、お告げに見捨てられたのは、あなた御一人ですよ。さうなる以外に仕方がない。あなた、然し、どうでせう。養神道の道理に就て、すこし、心をみがゝれては。私が手ほどき致しますが、養神様からも毎日一言二言おさとしがある筈です。このまゝぢやア、あんまり、お気の毒です」
「養命保身かい?」
「それもあります。一言にして云へば、クスリ、すべてを治す、ですから、クスリ、養神様はあなたを見捨てたけれど、あなた、見捨てられちや、いけません。もう一度伺つてごらんなさい。伺ひなさい。あなたに伺ふ心が起れば、見捨てられない証拠です。伺ひますか。いかゞですか」
「ふん」
 清人はひやかしてやる気持になつた。それで、ふらりと、再び養神様の前に立つ。
「お坐り」
 清人はあぐらをかく。
「よい子になつた。今にだんだん坐るやうになるよ。今日はお帰り。又、おいで。信心のはじまりは、そんなものだよ。叱りはせん」
 清人は外へでゝ背延びをしたが、養神様はほんとに何か通力があるのかも知れないとい
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