やないかな、といつた。その花村や舟木や間瀬や小夜太郎らは庄吉も一しよにキミ子を囲んで伊豆や富士五湖や上高地や赤倉などへ屡々旅行に出たといふ。キミ子が彼等の先頭に立ち、短いスカートが風にはためき、まつしろな腕と脚をあらはに、青空の下をかたまりながら歩く様が見えるのだつた。すると花村も舟木も間瀬も小夜太郎も、一人々々が白日の下でキミ子を犯してゐるのであつた。陽射のクッキリした伊豆の山々の景色が見え、その山陰の情慾の絵図が鮮明な激しい色で目にしみる。その絵図を拭きとることが出来ないのだつた。悔いと怖れと憎しみがひろがり、その情慾の代償がたゞ永遠の苦悶のみにすぎないことを知るのであつた。
その翌日は、すでに太平は青空の情慾を意識して多摩川へ急ぐ自分の姿に気づいてゐた。キミ子の腕や脚を見ると、色情のムク犬のやうにただその周りをあさましく嗅ぎめぐる自分の姿が感じられて、憎しみが溢れてくるのであつた。
彼は思ひきつて上流までさかのぼつた。そのための肉体の苦痛が、こみあげる怒りと共に、近づく情慾のよろこびを孕み、奇怪な亢奮を生みだしてゐた。そこは見知らぬ土地だつた。飛ぶ鳥の姿もなかつた。太平は破れかけた納屋を見つけた。彼は無言でキミ子の腕をとり、ぐいぐいと納屋へ歩いた。太平はキミ子を抱きすくめた。するとキミ子は彼よりも更に激しい力をこめてそれに答へ、思ひがけない数々の優しさのために、太平は気違ひになるのであつた。気がつくと、彼等は埃だらけになつてゐた。太平の手足も、キミ子の腕も脚も、あたりの材木や枯枝のために無数の小さな傷となり、血が滲んでゐた。
ボートは何事もなかつたやうに川を下る。太平は舵をとるだけで、いくらも漕がずにすむのであつた。キミ子は何事もなかつたやうに仰向けにねて額に両手を組合せ目をとぢてゐる。その肌は陽にさらされて、赤く色づきはじめてゐた。太平はその肉体に縛りつけられた自分を知り、それを失ふ苦痛に堪へられぬ自分を知つて、そのあさましさに絶望した。太平は肉慾以外のあらゆるキミ子を否定し軽蔑しきつてゐた。ひときれの純情も、ひときれの人格も認めてをらず、憂愁や哀鬱のべールによつて二人のつながりを包み飾つてみるといふこともない。たゞ肉慾の餓鬼であつた。
彼はもはやキミ子が情死を申出ないことを知つてゐた。太平は肉慾の妄執に憑かれてゐたが、情死に応ずる筈はなかつた。彼は死の要求を拒絶するばかりでなく、拒絶につけたして、人格の絶対の否定と軽蔑を目に浮かべるに相違ない。キミ子はそれを知つてゐた。太平はたゞ肉体に挑む野獣で、人格を無視してゐるが、肉慾のみの妄執が人格や偶像を削り去ることにより、動物力の絶対的な執念に高まるものであることをキミ子は嗅ぎつけてゐる。その妄執は生ある限り死ぬことがなく、肉体に慕ひ寄り威力に屈した一匹の虫にすぎないことを見抜いてゐた。
太平は死に得ぬことのあさましさと肉慾の暗さに絶望し、その憎しみと愛慾の未知の時間の怖れのために苦悶した。
けれどもキミ子は立ち去つた。小さなトランクを置き残して。友達を訪ねてくるからといひ、今夜は帰らないかも知れないわ、といひ残して。そのとき彼はチラと不安に襲はれたが、それをどうすることもできなかつた。三日たち、五日たち、十日たち、キミ子は帰らなかつた。
★
太平はさうせずにはゐられない力に押されて庄吉を訪ねた。もしやそこにキミ子がゐるかも知れぬといふことが希ひであつたが、同じ苦悶を見つめてゐる庄吉の顔を見ることがせめての希ひの一つでもあつた。キミ子はそこにもゐなかつた。
「生方さん。外を歩いてみないか。歩きながら話したいこともあるのだが」
庄吉はついでに仕事に行かうといつて、洋服に着換へ、カバンを下げて出てきた。芝浦の岸壁の方へでて、太平はキミ子が彼のもとにゐた顛末を打ちあけた。
「その引越したあとへ俺は一度君を訪ねて行つたのだ」
それから庄吉は長いあひだ無言に肩を並べて歩いてゐた。
「あゝ!」
たまりかねた小さな呻き声が庄吉の口からもれた。庄吉は緩かに片手を顔に当てた。庄吉の腸をつきぬけて出る棒のやうな何物かがあつたやうな気がすると、彼の顔には壮烈に涙が走り、彼は鞄を落してゐた。
庄吉は狂つたやうに太平にとびかゝつた。太平の喉を押へて両の拳《こぶし》でグイグイ突きあげた。
「この野郎! この野郎! この野郎!」
太平は倉庫のコンクリートに押しつけられて、拳に頤《あご》を突きあげられてゐた。その痛さに一瞬気を失ひさうになりかけたが、その時チラと見た泌みるやうな青空の中に、キミ子の真白な腕と脚を見たのであつた。
庄吉は手を放すと、今度は倉庫のコンクリートを両手で押してゐるやうな姿で身体を支へて、呼吸ををさめながら暫く茫然としてゐた。太平は青
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