外套と青空
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)生方《うぶかた》

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(例)しるし[#「しるし」に傍点]
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 二人が知り合つたのは銀座の碁席で、こんなところで碁の趣味以上の友情が始まることは稀なものだが、生方《うぶかた》庄吉はあたり構はぬ傍若無人の率直さで落合太平に近づいてきた。庄吉は五十をすぎた立派な紳士で、高価な洋服の胸に金の鎖をのぞかせ、頭髪は手入れの届いたオールバックで、その髪の毛は半白であつたが、理智と決断力によつて調和よく刻みこまれた顔はまだ若々しく典雅で、整然たる姿に飾り気のない威厳がこもつてゐた。
 その庄吉が尾羽打枯らした三文文士の落合太平に近づくことも奇妙であつたが、近づき方がいかにも傍若無人の率直さで、異常と思はれぬこともない。初めて手合せをしただけで名刺を差出して名乗をあげて、それから後は入口で太平の姿を探して(太平は毎日のやうに来てゐたから)その横へドッカリ坐る。多忙の庄吉は稀にしか現れないが、その時間を飛びこして、何十日目に現れても昨日の続きでしかないやうに太平の横へドッカリ坐る。碁敵《ごがたき》に事欠く場所ではないのであるから、太平はその特別の友情を一応訝るのであつたが、庄吉は太平の外の人々には目で挨拶を交すだけの友達すらも作らなかつた。一風変つた男の性格的な嗅覚であらうと、太平も率直に受入れたが、何か大きな孤独の中で特別の人間苦を見つめてゐる男であらうといふやうな想像は、後日になつて附けたしたものであらうと思はれた。
 ある日のこと二人は偶然場末の工場地帯の路上で出会つた。太平のアパートはこの工場地帯にあるのだが、庄吉は機械ブローカーで(彼自身小さな工場主でもあつたが)この土地へ機械の売込みに来たのである。二人は場末の碁席で手合せをして、夜になると酒を飲んだ。もう電車がなくなる時刻だな、とか、家へ帰れなくなるなア、などと口先では言ひながら、庄吉は落着き払つてゐて、帰れなくなることを予期してゐる様子であつた。
 翌朝太平の陋室《ろうしつ》で目覚めた庄吉は、学生時代によみがへつた若々しさで、目を細くして殺風景な部屋の隅々まで見廻して一つ一つ頭に書入れてゐるやうな様子であつたが、その様はなつかしさに溢れてゐた。今日は君が俺のうちへ遊びに来る番だぜ、と庄吉は太平をうながしてわが家へ連れて行つたが、二人のつながりの発端は以上に述べたこれだけである。一度うちへ招待したいと思つてゐたのだ、とその日も庄吉が言つてゐたが、路上で邂逅した偶然を差引いても、早晩二人のつながりは一つの宿命を辿らざるを得なかつたであらう。
 それから数日の後にキミ子(庄吉夫人)からの電話で、集りがあるからぜひ遊びに来てくれといふ。その席で講釈師の青々軒、船長の花村、機関士の間瀬、俳優の小夜太郎、工場主の富永、料亭ヒサゴ屋の主人などと近づきになつた。音楽家の舟木三郎は最も目立たない一人であつた。
 それからは二日目か三日日ごとにキミ子の電話で呼びだされる。同じ顔ぶれがたいがい顔を揃へてゐて、麻雀の者、碁を打つ者、花牌《はな》をひく者、拳《けん》を打つ者、酒を飲む者。庄吉の田舎訛の大きな声はこの部屋の最大の騒音であつたけれども、少しく注意して眺める人なら、実は彼のみが唯一の異国の旅行者で、この席の雰囲気からハミ出してゐることに気づくはずだ。一座の中心はキミ子である。彼女は芸者あがりで、この顔ぶれの半分ぐらゐがその頃からの知合ひだと分かつたのは後日のことであつた。
 ある黄昏に太平は銀座で舟木三郎に出会つた。そこで誘つて酒を飲むと、ふだんは無口で気の弱さうな舟木が妙にからんできて、君のやうな場違ひ者は外の適当な遊び場へ行つてはどうかといふ意味のことを、遠廻しの巧みな表現と品の良い皮肉をこめていひはじめた。
「君は善良な人であり、又、僕などの及ばない芸術家であるかも知れない。然し僕の芸術などは糊口のみすぎに過ぎないもので、僕の情熱は専ら現実の人生を作りだすことに熱狂してゐる。僕の人生の舞台衣裳はダンディといふことで、僕はフランスから帰るとき化粧品だけしか買つてこなかつた。そのころはドーランを塗つて銀座を歩いてゐたものだつたよ。君はそんな男を笑ふだらうな。ところが僕はすべて化粧の施されない世界を軽蔑と同時に憎んでもゐる。一つの小さな言葉ですら常に化粧を施して語られたいといふことを切実に希つてゐるのさ」
 それは太平の人柄が外形的よりも精神的に化粧を施されてゐないことに非難と皮肉を浴びせたものだ。けれども彼の言葉の奥の感情はキミ子をめぐり、そこから立ちのぼる嫉妬の濛気があつた。その嫉妬に値するだけの自惚が贔負目にもなかつたので、太平は呆れて、この男は圧し
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