もう悪夢にも退屈して、グショグショに濡れた朝稀に欠伸《あくび》が出るくらゐ、キナ臭い首を※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]いでヂッと凝視めてゐるとタラタラと、二三滴の透明な液体が、変に美くしく掌へ零《こぼ》れて落ちた。昼は明るい、見渡せば水平線、真昼《まひる》海が動いて静かに蒼空を吐き出してゐる。僕も僕の湿り気を薄く真つ白い霧にして、静かに沖へ吐き出してしまふと、黴《かび》れた古い「昔」だけが、襤褸のやうにヒラヒラと、広い海風に戯れながら僕の顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》に張り付いて残つた。「昔」を負うて孤独《ひとり》の路を喘いでゐる僕は乾涸《ひか》らびた朽木のやうな侘びしさに溺れてしまふ。
 顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]に凍てついた古い昔の襤褸をほぐす、丁度あのノウノウとした反芻動物のやうに、僕はウラウラとした海岸のベンチや、たまさかに翳りの深い樹の下で、一つづつ食べ直すものの如くに襤褸をほぐすのが日課であつた。母を憎む扼腕《やくわん》の瞿曇《こども》(それも今は愛誦すべき聖典の類ひか――)、同じ少年を乗せて飴色の広野を走る汽車の窓、
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