―」
「大丈夫だ、大丈夫だ、俺はシッカリしてゐるのだ」
「何が大丈夫なもんか! キミも男なら、恥を知るものよ」
「ウン……俺は大丈夫なんだ――」
 駅の屋根を出切るとき、鮎子は僕を置き去るやうに、激しく息を呑みながら、スタスタと雨脚の中へ駈け込んで行つた。僕は雨具の用意を持たない、僕はドシャ降りの煙を浴びて、鮎子の背筋を噛むやうに追ふた。
 コイツ……僕は鮎子の襟頸を抑へ、劇しく顔を引き戻して、その顔イッパイに睨みつけてやりたいと思つた。僕は劇しく、イライラしながら、それでも怒りを圧し潰して、頬に伝ふ雨の滴《しずく》を甜めながら、酔ひ痴れたやうにダラシなく泥濘を歩いてゐた。暫くして鮎子は突然ふりむいた。
「キチガヒ!」
「バカ!」
 お前はまるで皺だらけな、力の脱け切つた顔貌《かおつき》をして笑つた。その皺に、みんな一条《ひとすじ》、何か冷い液体が滲み出るやうな顔貌《かおつき》をしながら……。そしてお前は手を高々と延しながら、やうやくお前に追ひついた僕の体躯を覆ふやうにして、僕を傘に入れて呉れた。
「どうしたの?……近頃変よ、ネ、シッカリして……」
「俺は大丈夫なのだ……」
 僕は長く
前へ 次へ
全21ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング