の退屈に、ふと思ひ出して、「僕はお前を愛してゐない」と言ふ時のやうに。
お前の時間と、お前の気持が許しさへすれば、僕は毎日の幾時間をお前と居ても困ることは無かつたのだ。僕は何物にも溶けて紛れるヤクザな外皮を持つてゐた、そして又何物にも溶けやうとしない、一つの頑なな、沈殿物に悩まされてゐた。
僕達は、稀に波止場へ散歩に出掛けた。見送りの人波に紛れて、僕達は上甲板に、ゆるやかな午後を幾廻りかの散歩に費してゐた。賑やかな船の中にも密集地帯に一定の法則が行はれて、ときどき誰も通らない不思議な場所が隠されてゐた。其処では、細長い板敷の廊下が遠く遥かな海に展け、板壁の白いペンキが廊下と同じ長さに長い、紛れ込んだ人々にふとお饒舌《しゃべり》を噤ませてしまふ不思議な間抜けさが漂ふてゐた。又其処からは、海の形が画布の中の絵に見えた、僕達は軽くチョット笑ひ合ふ、それからかなり離れて欄干《てすり》に凭れ、銅羅が鳴るまでの長い間、足をブラブラさせながら、自分一人の海を見てゐる。
船が動く、海がひろびろとウシロに展ける、黒く蠢めく人波が、長い岩壁に、丁度立ち去つた汽船の長さだけ残る。それらは暫く動かない、
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