な術については一生心を用いている人種らしい、と、私はそんなことを考えたりした。あの山小屋の造り主がそんな神がかりになったことが、わびしかったのである。あの山小屋は彼の終生の傑作であったようだ。
私は一夏、彼の山小屋をかりて暮すことにした。もし快適だったら、小学校の代用教員もやめて、当分山ごもりして読書しようかとも思っていたのである。
その出発の日は暴風雨の警報がでていた。なみの旅行とちがって、半分出家遁世のような出発であるから、浮世の警報などは気にかからない。家をでる時はまだ雨も降っていなかったが、途中、彼のところへ寄り道して、山中生活の細い注意をきいたので時間をくい、(彼が外出先から戻るのを待っていたので時間をくったのだ)青梅の駅へ降りた時には猛烈なドシャ降りである。すでに多摩川は水量をまして、濁流は堤をかみ、青梅の万年橋を渡る時には、今にも橋が解体しそうな心細さを覚えたほどであった。万年橋を渡ると、もう青梅の町の外れであるが、(今のことは知らない)そこに、日用品や食物を売る店がある。それがこの街道の最後の店だ。米だのミソだの、東京から背負ってゆく必要のない時であるから、なるべく
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