うでもあった。生れながらに手と足の指が三本ずつしかない人であったが、そういうことが気にかかる余地がなかった。先日因果物の小屋へ見物にはいったら、人間ポンプというのと一しょに、手足の指が三本ずつの男が見世物にでていたが、そんなものが見世物になるのが、むしろ私には異様であった。三本指の藤田画伯はなんの異状もないばかりか、甚しく健康な楽天家であったからである。
 藤田画伯は生来仙人の趣があったが、伴氏はむしろアベコベの天性のように思われる。しかし、生来の仙人は、わざわざ山中に小屋がけし、谷水をひいて住むような面倒な苦労はしたがらないであろう。それを敢てする人は、むしろ天性の俗物であろうが、しかし空想で終らずに本当に着手するには、夢想家にしても、山師にしても、並のものではない。彼は戦争中は猛烈な神がかりで、私は郷里の新聞に彼が神がかりの論文をのせているのを読んだが、先ずこれぐらいベラボーな論理を失した神がかりは天下になかったようである。軍人にせよ、政治家にせよ、壮士にせよ、農夫にせよ、神がかり的になり易い人士は、反面チミツな計算家で、はじめは相手にききとれないような細い声で語りだす、というよう
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