ある。この伝授は後日に悪影響を残している。私は人と話していて、自分の声が細いのに気がつくと、意識してそうしていたわけではないが、彼の伝授を思いだして、甚しく切ない気持になる。悪事、詐術を使っているような不快な思いになやむのである。しかし、伝授した彼については、おかしさと、ややなつかしさを覚えるだけで、不快な気持はないのである。
 小田嶽夫と海音寺潮五郎が芥川賞をもらった時だと思うが、レインボーで文士をまねいて授与式があった。その食卓で各自の自己紹介があった。私の番がきて、立ち上って姓名を名乗ると、席を向い合っていた菊池寛が、
「キミ、もっと、大きく」
 と叫んだ。私は彼と一切交遊がない。彼が私によびかけたのは、この一言だけであるが、私はこのとき、いくらか顔をあからめたかも知れない。伴氏の伝授を思いだして、この時ぐらい味気ない思いに胸をつかれたことはないのである。
 又、その村には、藤田という、彼の親友の画家が住んでいた。私はその絵を知らないが、一生ナマズの絵を書いていた人だそうだ。自ら鯰魚と号していたように記憶する。無邪気な楽天家であったが、恒産があったのかも知れない。しかし、貧乏のよ
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