ったかも知れない。
私は彼でなくて良かったと思ったが、彼ならば同じマチガイをしたかも知れぬと思うと、身につまされて、やりきれなかった。
私がこの道標を書いたなら、マチガイは起さなかったであろう。しかし、それは程度の問題である。この道標の場合にはマチガイは起さぬけれども、これ以上複雑な、又、盲点をつかれる事情があった場合には、私も必ずマチガイを起す。私ばかりではない。あらゆる人が、マチガイを起す可能性があるのである。盲点のない人間は存在しないのだ。
これも無智の罪ではある。しかし、子供が道標の向きを逆にするようなイタズラとちがって当人は精一ぱい誠実であり、ミジンもイタズラ気がないのであるから、悲しい。アベコベの道標は、たしかに五人の生命を奪っている。怖るべき無智の罪ではあるが、あらゆる人間にまぬがれがたい悲しい罪でもある。自分はそのような罪を犯していないというのは怖れを知らぬ言葉で、いつ、どこで、これに類する罪を犯すか、のみならず、当人は犯した罪には気付かないのだ。
谷川岳のような人の多く死ぬ山で、人死にを少くする設備が殆ど施されていないらしいのが奇妙であるが、県の観光課とか日本
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