洋で暮してきたというようなヒマ人が、ほかに仕方がないから出る新刊を次々と取り寄せてヒマにあかして読んだり寝たりしているのである。私の義兄(私の長姉が細君)紅邨もヒマにあかした雑学家で話の泉のお客ぐらいは楽につとまる物識りであるが、田舎の雑学の大家に共通していることは、大事の心棒が一本足りないということだ。大事なカンドコロ、理づめの理の心棒が欠けている。つまり、谷川岳の道標を書かせると、上下が逆さまだというのに気がついて、頭だけ逆さまにならないようにそろえるまでは気がついても、今度は左右逆の方向から書かないとアベコベの方向を指してしまうということまでは気がつかないような脆さがある。
 幸い彼の住む山中は、まことに山も深く、雲も雪も深い山中ではあるが、附近に都人士が来り登るような名山がない。もしも谷川岳が彼の附近にあれば、土地の青年団とか世話人とかが、道標を立てるについて、その文字を書いてもらいにくるのは、彼のところにきまっている。と、彼は、大いに注意深く、熱心に書いたあげく、ついに登山家を死に至らせるような、天下どこに立てても通用しない表裏アベコベを指し合っている道標を書くようなことにな
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