ぬ到達点であった。むしろ大人の世界はハッキリそうであるが、自分らは事の始めに於ては人生に夢をえがいて出発している。しかし、いかにロマンチックであろうとしても時代に抗することは儚い努力で、恋をするにもゲル、という大人の思想に負けてしまう、という意味に解する方が正しいようである。新聞記者は文章の判読を誤ったのである。彼は甚しく平凡なことを言っているのである。
しかし、若者が夢みる人生と現実の社会には距《へだた》りとムジュンが多すぎるので、厭世的になるのもムリではないと言っているが、彼の意見によれば「夢と人生のムジュンによって」厭世的になるのではなくて、そのムジュンについて「少し考え過ぎると」厭世的になるのもムリがない、というのである。少し考え過ぎなければ決して厭世的にはならないのである。まことに明快であるし、物の順序としては、まさしくその通り、夢と人生にいくら距りがあったって、それについて考えなければコンリンザイ厭世的になるはずはないのである。
彼は自分の生い立ちを語って、
「僕は他人から見れば[#「他人から見れば」に傍点]平々凡々たる家庭に十有余年を過して来たのですが、それは僕にとっ
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