ことは文化を無視して目先の企業に走り怪《け》しからん、という説がある。新聞などの記事によっても、植物博士の肩をもつ調子のものが多いようだ。
 しかし、尾瀬沼地帯を水底に沈めてダムにするという計画は終戦後に始まったものではなくて、戦争前の計画であり、そのころから、珍植物の宝庫を失う可否については、ジャーナリズムの片隅で問題になっていたことであった。
 尾瀬の珍種というものが発見されて何十年もたっているのに、それに対する徹底的な研究を怠っていた植物博士の怠慢の方が、政府の企業よりも、非文化的だと私は考えているのである。たかが十種類ぐらいの植物じゃないか。その生態をトコトンまで究めるに、何十年が短い時間だとは思われない。尾瀬の開発が、世論にのぼってからでも十余年の年月を経ているのに、その責任に対しても特に研究するということがなく、たった十種ぐらいの植物の存在をタテにとって、広大な高原を自分の不急の研究室として原始のままで保存させうるものときめている植物博士の頭の悪さの方が度しがたい。研究室なり、他の山地なりへ移植を試みる努力をしたという話もきいたことがない。よしんば原物の保存ができなくとも、
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