今日は、後世にミイラを残す時代ではなく、昔のミイラを現代に多少とも復元しうる時代なのである。科学的方法によって、たかが十種ぐらいの生態を原型にちかく、後世に伝えるだけの研究に時間の不自由はなかった筈である。あったのは、植物博士の怠慢、否、徒《いたずら》に文化、学問の美名を説くのみで、誠意ある研究に不熱心な悪徳あるのみであった。
 私は文化というものを、それが人間の生活を高めることに役立つための根本的なものとして考えているのであるが、尾瀬を開発して日本の生産力を増大させようという政府の企画と、たった十種の植物のためにあたら大面積の高原を自分の不急の研究室に保存しようという植物博士のコンタンと、どっちが文化的であるか、という点については、躊躇なく政府の方を文化的だと判定するものである。他に適当な場所はいくつもあるという説があるが、この狭小な日本の国土で、果して、適当な場所がいくつもあると思っているのであろうか。自分の専門のたった十いくつの植物についての研究も手ぬかりだらけのくせに、専門外のことに、利いた風なことをいうのも滑稽千万であろう。
 金閣寺が消失した、文化財の一大損失だというけれど
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