闘ううちに、美への嫉妬とか、見物人への反感というようなことを真実なものとして実感していたことも間違ってはいなかろう。硫酸をブッかけた男が、かかる浮気女に社会的に制裁を加える、というような、自分を離れた正義心を実感していたとしても、その真実を疑うことができないのと同様である。
 又、私は、金閣寺が焼失したことについても、新聞に雑誌に、多くの識者が、国家の一大損失であるかのように説き立てることに対しても、まったく賛成していない。
 私はこれに対しては、方丈記の思想や、黄河の二千年前の名論の方に賛成であって、生あるものは滅する、木で造ったものが火に焼けるのは当然だ。火や地震と争うのは愚なことで、今後の人間は鉄とコンクリートで造った家へ移りすんで、木で造ったものは、燃えたり崩れたりするにまかせて一向に差支えない、という考えなのである。私はしかし二千年前の黄河学者ほどヤブレカブレではないのである。
 只見川上流の山岳地帯をダムにすることとなって尾瀬沼一帯の湿原帯が水底に沈むこととなり、日本に、又、世界に、ここだけしかないという植物の繁殖している貴重な文化宝庫を失うことになるについては、政府のやる
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