ていた。そして、私が意志しつつある行為自体の狂気の沙汰をのぞけば、そのとき私と会って別の話(たとえば職業上の話や商談など)を交した人は、私をあたり前の私、いつもと変らぬ私と思ったに相違ない。酒の酔っぱらいが全的に酔っているのにくらべると、こんな時のキチガイはその意志しつつあることの狂的なのを除いて、普通の場合と変りなく見えることが多い。もっとも、もう少し度がひどくなると、そうでもなくなるかも知れない。
旅館をでて、時間がたつにつれ、彼の絶望感は益々ひどくなったであろう。夜がきた。GHQとの約束はもうとり返しがつかないし(GHQというような一つの絶対な権力をもつものの圧力が、このとき、彼の絶望感にどれぐらい大きな圧力でのしかかったか想像を絶するであろう)彼の職場ではどのようなことが起り、クビ切りどころか、彼自身がクビを切られているかも知れず、現に首脳部の人たちが彼のクビ切りを相談しているかも知れない。そのような幻想が起り、彼の関節から力がぬけ、ぬかるみへはまッた足をひッこぬく力も失せて、ぬかるみを出るまで這って歩かねばならないような状態がつづいたかも知れない。
どうしてよいか分らない
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