クヨしなさんな。奥さん、かんべんして、帰つて下さい。私が仰せの通り下駄をキチンとそろへる。ほんとに、すまん、帯をきつたり、着物をぬがせたり、そこまでするつもりはなかつたのだが、逆上してしまつたんだ。我ながら、これほど、別れぎはが悪い男だとは思つてゐなかつたんだ」
彼の顔に弱々しい苦笑が浮んだ。
「オレはさつき、暗いうちに、クビをかき切つて死なうかと思つてたんだ。然し、奥さんをねせておいて、悪趣味な芝居気も気がさしたからな。まつたく、悪夢だつた」
「ぢや、もう死なないの」
「どうだか、分らん。だが、芝居気は、もうない。オレの死ぬのは自然なんだ。もう生きてもゐたくなくなつただけだから」
私は興奮のために、みるみる冷めたく堅くなつて、ふるへた。私は起き上つて叫んだ。
「私を殺してよ。そして、あなたも死んでちようだい」
彼は目をとぢて薄笑ひをうかべた。私はむらむら逆上した。いきなり飛びかゝつて彼のポケットからカミソリをつかみだして刃をぬいた。すると彼は深い目をして、沈んだやうに、私を見てゐた。こんな表情を、たれの場合も、私は見たことがなかつた。ヤケのドン底なのだらうか。死神がのりうつつて
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