「今日は、奥さん。からだをもらふよ」
 彼は上衣のポケットに手をつッこんで、私の前に突ッ立つて、せゝら笑つた。私はすくんだ。恐怖のためではなかつた。彼のせゝら笑ひのアイクチのやうに冷めたい鋭利な刃ざはりの妖しさのせゐであつた。
「怖いか。怖がるのも、是非がない」
 彼は又せゝら笑つた。私は女だから、とつさに、びつくり怖れてゐるやうな構へになるのだらうが、私は然し、ミヂンも怖れてはゐなかつたのだ。私はまつたく妖しさにいちづに酔つて堅くなつてゐた。私はむしろ祈つた。彼が、うまく、やつてくれゝばよい、と。
 いやらしさや、助平たらしさや、みすぼらしさを表はさずに、堂々と私を征服してくれゝばよい、と。失敗するな、成功して、と。
 私は彼がすこしでも、みすぼらしさ、いやらしさを見せると、テコでも彼をつきのけ、つきとばす私の理知を知つてゐた。私は酒には酔へない。男の美しさ妖しさの花火には酔へる。その花火には、私の理知は無力であつた。
「オレは奥さんなんか、きらひだ。奥さんぢやない、ノブ子。ノブ子はきらひだ。然し、半分ぐらゐ、すいてやる。酒をおごつてくれるからさ。改めて、お礼申上げておくよ。今日は
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