は旧来の同盟国の家柄で成上りの秀吉とは違ふといふやうなその不遇に対する同情もあつた。然し、家柄への同情といつても本人に貫禄がなければ仕方がないので、織田信雄が信長の子供だと云つても実力がなければ仕方がない。万事実力が物を言ふ戦国時代であつた。
ところが実力といつても各人各様で、人物評価の規準といふものは時代により流行によつて変化する。陰謀政治家が崇拝せられる時期もあれば平凡な常識円満な事務家の手腕が謳歌せられる時期もある。家康がおのづから天下の副将軍などと許されるやうになつたのは、たまたま時代思潮が彼の如き性格をもとめるやうになつたので、彼は策を施さず、居ながらにして時代が彼を祭りあげて行つた。
当時の時代思潮は何かといへば、つまり平和を愛し一身の安穏和楽をもとめるやうになつたといふことだ。一般庶民が平和を愛するのはいつの世も変りはないが、槍一筋で立身出世をし、戦争を飯よりも愛した連中が戦争に疲れてきた。
日本の戦争は武士道の戦争だなどと考へると大きな間違ひで、日本の戦史は権謀術数の戦史である。同盟だの神明に誓つた血判などと紙の上の約束が三文の値打もなく踏みにじられ、昨日の味方は
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