今日の敵、さうかと思ふと昨日の敵は今日の味方で、共通する利害をめぐつてただ無限の如く離合する。一身の利害のためには主を売り友を売り妻子を売り、掠奪暴行、盗賊野武士から身を起して天下を望むのが自然であるから時代の道徳も良識もその線に沿うてゐるのは自然である。
親類縁者といへども信用できず、又、信用してをらず、常時八方に間者を派し、秘密外交、術策、陰謀は日常茶飯事だ。ルールといふものはなく、ルールといふものがありとすれば、力量や器量にまかせて何をやつてでも勝てば良い、勝つた者に全ての正義があるといふルールなのである。力量に自信ある者、野心家、夢想児にとつて、力づくの人生は面白い遊戯場だ。ところが力にも限度があつて、昨日の大関、関脇などが幕下へ落ち遂には三段目へ落ちて引退するといふやうなことにもなり、限度は力業《ちからわざ》には限らない。智力にも限度があり年齢があるものだ。気力とてもさうである。
芸術の仕事はそれ自体がいはば常に戦場で、本来各人の力量が全部であるべきものである。力量次第どんな新手をあみだしても良く、むしろ人の気附かぬ新手をあみだすところに身上があり、それが芸術の生命で、芸
前へ
次へ
全26ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング