しか考へてゐない。
このままいつ死んでもそれでよし、さういふ肚の非常にハッキリした家康で、さういふ太々《ふてぶて》しい処世の骨があつたから、野心家のやうにあくせくしないが、底の知れないやうなところがある。それで古狸などと思はれるが、根は律儀で、ただいつ死んでもいいといふ度胸の生みだした怪物的な影がにじんでゐるだけである。
いつ死んでもいいといふ最後の度胸はすわつてゐたが、平常の家康はお人好しで、小心な男であつた。彼は五十ぐらゐの年配になつても、まだ、たとへば近臣が何かの変事を告げ知らせると、忽ち顔色青ざめて暫く物が言へなくなるたちであつたといふ。秀吉の死後、三成一派が家康を夜襲するといふ噂の時にも彼は顔色を変へてしまつたといふことで、いい年配になつてもさういふ素直な人だ。素直といふ意味は、たとへば我々のやうな凡人でも、四十五十になれば事に処して顔色を変へないぐらゐの稽古はできる。我々は内心ビクついてをりながら顔色だけはゴマかすぐらゐの習練はできるのである。それは形の上の習練で内容的には一向に習練されてはゐないのだが、家康といふ人は、つまりさういふ虚勢の、上ッ面だけのお上手が下手であ
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