て肉親的に不感症で、家のためには子供の一人や二人煮られようと焼かれようとと本能的なつめたさを持つてゐるものなのである。家名のためだなどと云つて我が子を冷酷に追ひだしたり、中には肺病の子供を家名のために早く死んでくれと願つたりする、さういふ冷酷な特異性がもはや特に鋭く訴へてこないほど我々の身辺には家名の虫のつめたさが横溢してゐるのだ。その御当人が自分のつめたさに気附かずに、甘つたるい家庭小説か何かに涙を流してゐるのだから笑はせる。人は涙といふものを何かマジメに考へがちだが、笑ひの裏と表にすぎないので、笑ひが単なる風とその音にすぎなければ、涙などは愚かしい水にすぎない。妙に深刻に思はれるだけむしろバカげたものである。
 家康も保守家であつた。そして彼は子供だの孫だのの二人三人はどうならうと平気の平左の人であつた。律義者で、温和な考への人だ。そして、自分に致命傷の危険がなければ人が何をしようと、どんなに威張らうと、朝鮮へ遠征しようと、親類の小田原を亡ぼさうと、我関せずでゐる人だ。時世時節なら何事も仕方がないといふ考へで、秀吉の幕下に参じて関白太閤などと拝賀することぐらゐ蠅が頭にとまつたほどに
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