附けた内容は全て過去と云ふことも出来る。故に一節に於ける如く、かつて意識のあつた世界は過去であると云ひ得る。
又「意識しつゝある力」は常に現在を持して動きつゝある。従て如何なる意識の対象或は意識内容を以てしても、全てこれを現在たらしめんとする時には現在を過ぎて居る。全て意識せらるゝものは、所謂「シツツアル力」に対して「セラレタルモノ」だけの価を有するに止る。此の如くにして、「セラレタルモノ」は「セラレタル瞬間」に於て「シツヽアル力」の後に取り残されるに止る。あたかも「アキレスと亀」の詭弁が詭弁ならざる真理として永遠に「シツツアル力」の亀を先登《せんとう》に立てゝ進みつゝある。結局此の如き考察に於て、全て、「意識の対象」は「意識しつゝある力」の先に立つことは許し難い。故に全て「意識の対象」は「意識しつゝある力」の過去である。
四、未来に就て
前節の如き考察に於ては、明に時間特に過去は一切空間世界を意味する。しかし此の如きことは果して許さるべきであらうか。例へば上述の結論に於ては我々は「意識の対象」に未来を託すことが出来ない。此は明に誤りではないか。
しかし是は「始に時間を仮定し後に力を規定せんとする誤つた見方」である。
何者、「意識シツツアル力」に於ては「予想スル未来」そのものが既に意識の対象である。従て「予想スル未来」は単に過去にすぎない。換言すれば、我々が未来として予想することは単に予想「セラレタ」ものなのである。「セラレタル」対象にすぎないのである。現在「意識シツツアル力」に「意識せられた」未来といふ[#「未来といふ」に傍点]一つの意識内容に止る。従て之も又「シツツアル力」の現在に対する「セラレタル」過去以外の何者でもない。故に「意識しつゝある世界」に於て「シツツアル力」の現在と一切の「セラレタルモノ」の過去の外は何者もない。
五、結論、再び過去に就て
前節に於て我々の意識は未来を除去した。併《しかしなが》ら「過ギ去リタル意識」を過去として許す意味に於ては、当然、現在より先にあるべき「意識のはたらき」を未来と名づくべきではあるまいか、といふ疑問に達する。前節に於ては「予想(意識)セラレタル未来」は過去に属すと説明した。しかし是は甚だしい矛盾を含む様に思はれる。世の一般に従へば、未来と過去とは明に異る。過去は現在以前を云ひ、未来は現在
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