にも自ら化して夢と現実の区別がないが、青春の希望の裏には、限定された自我がある。わが力量の限界に自覚があり、希望に足場が失はれてゐる。
これもそのころの話だ。私は長島と九段の祭で、サーカスを見た。裸馬の曲乗りで、四五人の少女がくるくる乗り廻るうちに、一人の少女が落馬した。馬の片脚が顔にふれた。たゞ、それだけのことであつた。少女の顔は鮮血に色どられてゐた。驚くべき多量の鮮血。一人の男衆が駈けよりざま、介抱といふ態度でなし、手を掴んで、ひつぱり起した。馬の曲乗りは尚くるくる廻つてゐるから、その手荒さが自然のものでもあつた。少女は引き起されて立上り、少しよろめいたゞけで、幕の裏へ駈けこんだが、その顔いつぱいの鮮血は観衆に呻きのどよめきを起したものだ。然し一座の人々の顔は、いたはりでなしに、未熟に対する怒りであつた。少女の顔にも、未熟に対する自責の苦痛が、傷の苦痛に越えてゐる険しさだつた。
無情も、このときは、清潔だつた。落馬する。馬の片脚が顔にふれる。実に、なんでもない一瞬だつた。怪我などは考へられもしないやうな、すぎ去る影のやうなたわいもない一瞬にすぎないのだから、顔一面にふきだしてゐ
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