に悲しむのみです。だから、天分があるのです。私は虫歯が痛くても、このカフェーの鉢植ゑの植物の彼方に立つ限り、植物よりも無自覚に、虫歯の痛みをこらへてゐることができます」
彼はウハ目でチラと見上げただけだつた。如何なる感情も見せない水のやうな冷気であつた。
「どうすれば、店が繁昌すると思ふね」
私は全然ダメだつた。私は私とこの職業を結びつける雰囲気的な抱負にだけ固執して、一晩まんじりともせず、私自身を納得させる虫歯の哲理に溺れてゐた。店を繁昌させる秘訣に就ては考へてゐなかつたのだ。私は手ぬかりに気がついた。彼が私に求めることは、私が虫歯をこらへることではなく、店を繁昌させる秘訣であつたにきまつてゐる。
「美人ばかり集めることです。きまつてますよ」
と、仕方がないので、私は大威張りで答へた。私が威張つたのは、真理の威厳のために、であるが、彼は冷やかにうなづいて、
「それはきまつてゐる」
私は狼狽して、まつたく、のぼせてしまつた。私はその任にあらざることを自覚したから、履歴書を返してくれ、とたのんだ。彼はそれが当然だといはぬばかりに履歴書を返してくれたが、自分のもとめてゐるのはホテル
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