偶然の諸条件に支配されるにしても、性格に内在する可能性の多少が、諸条件に積極的に作用する力もあって、そのような必然的なもの、既知的のものは、文学上の探求と関係しないものである。医学や法律なぞが、それに応ずる薬とか、療法とか、罪の裁定とか、をもとめる土台となるかも知れぬが、文学は探求でもあるが試みでもあり、薬の量を定める土台にもならないし、それ自体に解決を持たないのが普通である。
平凡人に諸条件がかかった場合――むしろこの諸条件に重きがおかれる。
性格に重点をおけば、可能性の多少ということは、肉体的に云えば、まア病気の多少、病人をさすことに当るかも知れん。
文学の方は平凡人、つまり、普通の健康体がむしばまれて行く可能性、いかなる条件があって、かかる病人となるか、その社会悪というものが考えられ、病人の対策や病気の治療が問題ではなくて、諸条件とか社会悪というものへの反撥や、正義感が、文学の主たる軸をなすもののようだ。したがって、人間自体に関する限り、文学には解決や結論がない。いつまでたっても、常にあらゆる可能性が残っているだけの話なのである。
だから文士は、人間の性格についての心得は
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