思うが、あいにく私の半生は全然世間並のところがないから当り様がないだけで、桜井さんの手腕の問題ではない。当る方がおかしいのだ。こういうものは、むしろ当らない易の方が、全局的に見て、その人の全貌をつかむ合理性を含んでいると思うのである。
 六ツ七ツというのは、私が私の実の母に対して非常な憎悪にかられ、憎み憎まれて、一生の発端をつくッた苦しい幼年期であった。どうやら最近に至って、だんだん気持も澄み、その頃のことを書くことができそうに思われてきた。
 十五六というのは、外見無頼傲慢不屈なバカ少年が落第し、放校された荒々しく切ない時であった。
 二十七と三十一のバカらしさはすでにバカげた記録を綴っておいたが、これもそのうち静かに書き直す必要があろう。
 二十一というのは、神経衰弱になったり、自動車にひかれたりした年。
 四十四が精神病院入院の年。
 こんな常軌を逸した異例の人間の一生は、公約数から割りだせる筈はないし、そんな異例なところまで易が見破る必要はないものなのである。
 むしろ、これらのことが当らなかったのは咎むべきことではなくて、アベコベに、四十までウダツがあがらず、ともかく四十台で
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