と、桜井さんには悪いが、これだけは完全にそうでないようである。しかしながら、主観的に云った場合に、私が家庭を煩雑に見ていることは確かで、特に年とともに環境の淋しさが増すという点は私も同感である。これだけは、それ以外にどうにもならないものを確信せざるを得ません。
 桜井さんは、どういう相を根拠にされたのか知りませんが、四十までウダツがあがらず、四十台でともかく名をなす、という点は、その通りでした。
 別にアゲ足をとるツモリではありませんが、二十四五、三十二三、三十七八で手痛い苦しみをしたというのは、すこしズレています。すこしズレるというと大体当ってるようだが、実は二三年ずつズレていて、二三年ズレるとこの間隔では最大限にズレたことになってしまう。
 六ツ七ツ、十五六、二十一、二十七、三十一、四十四が手痛い出来事があった意味では特筆すべき年で、しかしジリ/\ときたものについて云えば全半生に通じていると申せましょう。こう申したとて、桜井さんの易をどうこう云うわけではなく、このタイプの人間ならこのようなことが手痛い出来事で、そういう出来事に会うとすれば何歳ぐらいという算出以外にヨリドコロはないと
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