、家庭的問題かも知れんからである。易断は万事かくの如きもので、当っていると思えばみんな当っているし、当らんと思えばみんな当らん。
 一人ポッチということは家庭の支えを失っている点では完璧な家庭的問題で、これに災されて四十までメが出なかったというのは、そう思えば、そうなるだろう。もっとも、メが出たときも、同じように一人ポッチであった。
 文芸批評家が私の作品や一生を論ずるには、どう云うだろうか。ドストエフスキーの場合には家庭問題ということが彼の作品や生涯を解くカギの一ツとなってるようだが、しかし、それはドストエフスキー自身が手紙や文章の中でそれを言いたてているせいもあるだろう。本人が言いたてたって、一向に本当ではないものである。だから私が家庭問題に煩わされた顔を一度もしなかったり、一度も書かなかったにしても、これまた信ずるに足らずと見たところで、その論者の立場に不可があろうとは思われん。
 ただ家庭的に煩雑だというのは当らない。私個人の立場として家庭的に煩雑で、家庭のことまで気にかかるのは時にやりきれんと思うことも確かにあるが、他の人や、他の家庭にくらべて、私の方が煩雑だという比較になる
前へ 次へ
全28ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング