、バカ同志の共同戦線かなア。どッちか一ツをハッキリと選んでやりなよ。二ツは一ツにならねえや」
 これは易断ではない。酒に酔っぱらッたときの酒の肴たる年若き人物への一場のクンカイの如きもので、したがって甚だ良い気なものであるが、同時に、相手にクンカイをたれているのか、自分にたれているのか、そのへんの区別アイマイモコたる悲哀がこもったところもあるようだ。
 かかる一場のクンカイも、これまた人生の公約数的な怪味を帯びているけれども性格よりもいくらか思想性によりかかったところがあって、やや高級な説得力があるらしいが、それにしてもドストエフスキイの小説中に現れるノンダクレのセリフ以上の名言卓説ではない。孔子サマ、ヤソサマの大教訓にヘダタリのあること十五万里。ただし、ドストエフスキイのノンダクレにしても私にしても、自らモグリの言説であることには重々心得があって、決して大教祖を志しているような怪しいコンタンはないのである。
 私の四十台までを災いしたものは家庭的問題である、というのは、全然一人ポッチで放浪のみしていた私には全く当らないようであるが、全く当ってもいる。なぜなら全然一人ポッチということも
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