様らしい宮様であるから私の知る限りでも二ツの雑誌社があの宮様から宮様の今昔生活物語の如きものを書いてもらう狙いをつけてでかけたが、あのお人柄では定めし生活も満足ではあるまいと思われるのに、原稿は貰えなかった。それもメンドウな理由からではなく、単に、書く気持がないというだけの実に淡泊でコダワリのないものであったという。
 この宮様などは人間が慾得を忘れて自然人にちかい状態になったように感じられる。ジオゲネスの如きものだが、それよりも、もっとナイーヴで自然であるが、もとより教養の素地がなくてこうなれるものではない。その教養の根幹は何かというと、はからずも華頂氏が思索の果に見出した「真の自由は自律的には不自由である」ということが、実は宮様の場合には思索の果にあるのではなくて、宮様という生活自体が自由の不自由さを根としているのではないでしょうか。
 宮様にもいろいろであるが、宮様という生活を正しくマトモに経てきた宮様、つまり一番宮様らしい宮様という方々は自由の不自由さを正しく味うのがその課せられた生涯であって、結局老年に至るとジオゲネスよりもハッタリなく淡泊ライラクな原人的人物が完成するように
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