になる、という穏当適切なものではなく、よくも読まずに、途中の一行だけをその前後から切り離してとりだしてインネンをつけたり、誤読を基にして悪口雑言を浴せたりなさる。
今回の場合、宮本竹蔵先生のお叱りを蒙った平林たい子さんの文章は、どこかの新聞の文芸欄の一隅にのった追悼文で、せいぜい原稿紙二枚ぐらいの短文である。ところがそのたった八百字ぐらいの短文すらも精読を欠き、相手の意あるところを読み誤って、勝手にきめつけていらッしゃる。前掲の両者の文章は一字も省略しておらぬ筈ですから、どうぞ皆さん御自身でも吟味してみて下さい。たった原稿紙二枚の文章ですら、このように精読を欠いているのですから、長い文章に至っては誤読誤解の甚しさは申すまでもありますまい。
精読せずに批評するということは甚だしく不誠実なことで、文化人の至極当然な教養から云って日常の談話に於てもそれを慎しむのが当り前ですが、誤読あるを怖れるような慎しみはミジンもなくて、一行だけとりだしてそれを全文の本旨であるかに見立ててカサにかかってインネンをつけ悪罵を放つ。そのインネンのつけ方や、理窟の立て方に於てはユスリをやる者の論法に似て、用語
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